一般質問(一問一答方式) R1.6 河野裕保 議員

公開日 2022年01月12日

〔河野裕保君質問席へ移動〕

 

○河野裕保君  質問の機会を与えていただきまして、感謝を申し上げる次第であります。
 私は、質問通告書に従いまして、大綱1点、市長並びに関係理事者にお尋ねをするわけでございます。
 大綱1点、道徳教育等についてであります。
 恐らく大半は教育長が答弁されるだろうと思いますし、市長、副市長は出番がないかもわかりませんが、私はあえて振るかもわかりません。がしかし、通告書以外には構えておりませんので、御安心をいただきたいと思うわけであります。
 さて、民生文教委員長といたしまして、教育長を尊敬申し上げております。敬意を表する意味も込めまして、道徳等についての質問をするわけであります。
 質問は、大日本帝国憲法、教育勅語、修身、このようないにしえの文言が出てまいりまして、答えも非常に窮する場合があるかと思いますが、その辺はあしからず御了解いただきたいと、このように思うわけであります。
 さて、本論に入ります前に、本論は佐久間艇長の遺書を教材にした道徳教育もあっていいのではないかということでございますが、その前にイントロから入ります。
 今私が非常に憂えているのは、日本人は同じ敗戦国であったドイツに比べて非常に心もとない。ドイツはいまだに質実剛健を保っております。付加価値税19%、今日本はどうですか、たった2%に右往左往しておりますよね。そういうこともあります。そして、可処分所得はドイツでは290万円で十分生活できますよ。日本はそれよりか上です、平均値の可処分所得は、そういうこともあります。そういうことで、気骨のある日本人を生むための道徳教育はいかがあるべきかということの質問であります。
 さて、大日本帝国憲法というのは、伊藤博文が主体となって決めたもんだと言われております。彼のすごいところは、当時としては珍しく英語も話せます、英語も理解できます、若いときにイギリスに行きましたから、世界情勢が非常にわかっている。そういう意味で、プロシアの憲法を参考とした欽定憲法をつくったわけでありますが、彼は、今で言う憲法審査会の草案を審議する枢密院において、欧州、米国というのは一神教である、一神教に対抗するためには、日本は全てが神様ですよ、山も川も谷も木も、八百万の神には絶対的に対応できませんよ。こういうことで、それでは「独り皇室あるのみ」、一神教に対抗するためには、ということで欽定憲法をつくった、万世一系の天皇が統治するというふうにまとめた。また、彼は長州閥でありますから、天皇を頂に据えたほうが施策の展開がやりやすいと思ったわけであります。でありますから、そういう国際的な目といいますか、それが非常にすぐれておりましたから、伊藤博文は初回の総理大臣に指名をされたというようなことであります。でございますので、これから言う道徳、昔は修身、修身というのは、さっき申しました帝国憲法、教育勅語と非常に密接なつながりがあるわけであります。
 教育勅語というのは、これは天皇の言葉として、明治23年、1890年10月31日に文部省訓令として発布をいたしておるわけであります。その前の日の30日に、天皇の言葉として、時の総理大臣山県有朋、文部大臣芳川顕正に対して、これを下賜をしております。そして、翌日発布をしたということであります。
 その教育勅語というのは、皆さん方御存じはないですわね、一番当初は最初に、「我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ」、そういうことでありまして、天皇陛下に忠誠を誓わせますよというような教育勅語でありますが。その教育勅語というのは、当時、憲法ができる前あたりから、明治の初めぐらいから自由民権運動が活発に行われておりました。特に東京三多摩地区、南多摩、西多摩、そこらの民権運動はすごかったもんですから、また埼玉の秩父では秩父困民党が騒乱といいますか、そういうことを起こしまして、非常に手をやいておりましたから、教育勅語をつくりましょうということであります。
 ですから、国家統治を、難しい言葉で言えば総攬する万世一系の天皇に対して臣民、いわゆる国民ですね、それが忠誠を尽くすように、そういう国家体制をつくりますというふうな教育勅語でありまして、その教育勅語に対して、児童・生徒、国民は修身によってそれに導いていきますということであります。だから、私は余り感心しませんが、左翼系の学者に言わせますと、教育勅語の鋳型にはめていくのが修身教育ですよと、こういうことでありました。
 私思い出しましたね。今から二十七、八年前に現場におりまして、学校の校長先生がおやめになって社会教育指導員になられました。当時、河野基繁先生、宇都宮利久先生、ユニークな中村寿考先生がいらっしゃいまして、中村寿考先生はよく修身のことを話されておりました。児島高徳はどうでしたの、あるいは楠木正成はどうでした、また、最近ということはないですが、それより下って日露戦争の旅順港閉塞作戦に従事した広瀬武夫中佐については、閉塞作戦中に部下がおらんようになった、「どうした杉野はいないのか、杉野兵曹長」こう呼びながら、ロシア軍の放った砲弾に被弾し戦死をした、これが第1番目かな、「軍神広瀬中佐」であります。そういうことで、当時、私は社協におりまして、二十七、八年前ですが、この中村寿考先生がお生まれになったのは昭和6年であります。ですから、先生たちが教育を受けた小学生のときには修身が真っ盛りでありますから、相当たたき込まれたと言っておりまして、ですから高齢になっても思い出しますよと、こういうことなんですね。
 それで、日露戦争は明治38年、1905年に終わりましたから、それから5年後の明治43年、1910年に、私が題に上げました佐久間 勉艇長は、潜水艇の訓練中、明治43年4月15日に、山口県新湊沖で訓練中に空気取り入れ口のハッチからばあっと海水が入り出した。当時の潜水艇は、潜ることもできますが、シュノーケル的なもので空気を取り入れ口を海面から出して、少し半分潜ったままのそういう訓練中で、少し沈み過ぎたんでしょうね、角度的に、そこから水が入った。さあ、すぐにハッチを閉めましたが、これが間に合わない。どんどんどんどん水が入り出したけど、水をくみ出すような訓練、艇長を含めて14名が一生懸命やりました。がしかし、浮き上がらない。ガソリンエンジンもとまる。排ガスが充満する。自分たちの吐く息も炭酸ガスと一緒になる、苦しい。その中で、彼は手帳に遺書をしたためたわけであります。このとき、当時の反戦歌人と言われた与謝野晶子はこう詠んでおります。「海底の 水の明りに したためし 永き別れの ますら男の文」とこうやった。彼女は反戦歌人ですから、当時、日露戦争に従軍し旅順港包囲作戦に赴いた弟に対してこう言っております、「あゝをとうとよ 君を泣く 君死にたまふことなかれ」、反戦ですから、君は生きなければならない、国のために死んではだめですよ、君自身のため、家族のため、そして君は将来うちを継いで商売をしなければならないので、国のためには死んだらだめです。これ当時の軍部は何も言わなかった、大したもんです、軍部も。昭和16年、治安維持法ができて以降だったら、与謝野晶子は治安維持法違反と見てお縄頂戴になってますよね。そして、彼女がこのように褒めたわけであります。
 私が、彼が遺書をしたためた中で最も感動するのは、部下のことを思ったからであります。陛下に申す、部下の家族も生活に窮することがあってはとても困りますので、何とか御高配を賜ります、これが私が今心残りになっておる唯一のことであります、こういうことですね。
 そして、この話は、ちょっと下りますが、昭和20年6月6日、間もなく沖縄は6月23日が終戦でありますから、それより少し前に、この前にも話しましたが、ここで、沖縄根拠地隊司令官太田 実少将は、海軍次官に、あの小禄の海軍壕から打電した。沖縄県民はよく戦いました。子供も女子も砲弾をかすめ、雨あられ降る砲弾の雨の中を傷病兵を担ぎながら、たんかに乗せながら、そして全ての沖縄県民がよく戦いました。どうか沖縄県民については、後世御高配賜らんことをと打電して、彼は自害したわけであります。
 この2人に共通するのは、指揮官、あるいは上の者としての義務を全うしたということであります。これは武士道であります。つまり新渡戸稲造が言うところの、英国においては騎士道、日本では武士道、ノブレス・オブリージュであります。このことは、英国に留学しておった今岡部長、よく御理解いただけるだろうと思うわけであります。うなずきましたね、ありがとうございます。
 ということで、この佐久間艇長は京都の若狭出身でございますから、毎年若狭町の教育委員会は命日の4月15日には彼のための遺徳顕彰祭をやっていると、こういうことであります。そして、地元の小学生が出て、参列し、霊を慰める、なかなかこれできたもんじゃありませんよ、ということなんですね。
 私が思うのは、今これを教材にせえということでございますが、検定教科書がありますが、それで十分ですよという考えもありますが、しかし政府においては、現在の憲法、そして教育基本法に抵触しない限りにおいては、教育長及び学校設置者について責任を持って逸脱しない限りは教育してもいいですよ、お任せします、委ねられとるわけですから、いい資料、教材はどんどんお使いになっていただきたい。これには、命令とは何か、集団とは何か、国家とは何か、十分これは話し合う余地があるわけであります。でございますので、これを教材にした道徳について、ぜひともお願いをしたいと思うわけであります。いかんならいかんでいいんですよ、お願いします。
○議長(新宮康史君)  教育長。
○教育長(井上 靖君)  佐久間艇長が殉職されたのは、1910年のことです。修身の教科書には掲載されておりましたが、現在の児童・生徒にとっては、時代背景や戦時中の価値観の把握など理解が難しい面もあるかと思います。現在、各校それぞれの学校の子供たち、地域の実態に立って、年間指導計画に沿って実施しておりますので、道徳の授業を、したがいまして当市の小・中学生の道徳の教材として活用する考えはありません。
 ただ、史実であり、伝記的読み物として紹介したり、歴史学習の中で教師の説話として取り上げたりするなど、児童・生徒の実態や発達段階に応じて取り扱うことは考えられると思います。
 以上です。
○議長(新宮康史君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  ぜひ検討してください。
 この佐久間艇長は戦死して14人が全員死にましたということについては、全世界が驚嘆したわけであります。なぜか。当時の潜水艇はお粗末なもんですから、今で言えばジェット機に対してあのカラス型飛行機、玉虫型飛行機、対比をすればそういうものですよね。当時、この潜水艇はヨーロッパでもよく沈没しました。水が入って、脱出できない。そのときに、兵士は我がちにハッチへハッチへねじ込んで、軍服のボタンをばりばりに破る。ここの潜水艇は14人全員持ち場を離れずに、着たそのままの姿で亡くなっておったということで、イギリスしかり、1年前にやめておったセオドア・ルーズベルトも非常に感心した、彼は軍人でありますから。そして、彼の意向を受けて、国会議事堂の大広間の陳列ケースに、独立宣言書と、隣の隣に佐久間艇長のこの遺書の原文をコピーして飾ったということであります。セオドア・ルーズベルトは、日露戦争の後のポーツマス講話において非常に中立ちをしましたから、そういう功績を受けてノーベル平和賞を受けておる。当時の、この佐久間艇長の見事な差配ぶり、これは驚嘆に値すると、こういうことなんですね。先ほど申しましたように、部下のために最後の義務を果たしますよ、これは武士道です。
 武士道はいろいろあります。山鹿素行の武士道と言えば忠臣蔵、佐賀藩の山本常朝の武士道と言えば「葉隠」です、切腹しなさいということですが、これは明らかに英国的な紳士的、ノブレス・オブリージュだと思います。ぜひともこれを検討していただきたいと思うわけであります。
 なお、これは潜水艇ですが、京都大学の上山春平先生、京都大学人文科学研究所長を長らくされまして、文化功労賞をもらいました。この上山先生は、昭和20年の終戦の年に御年24になる年ですが、あえて海軍に志願して人間魚雷回天に乗ったということでございます。マリアナ諸島、ソ連軍が参戦した以降はウラジオストクで軍艦を沈めるために人間魚雷回天に乗った。そして、いろいろ出撃いたしましたが、敵の大物の戦艦は見当たらない。そして、故障してドックに入ったときに8月15日の終戦でしたということであります。恐らく京都大学出身の副市長は上山春平先生を知っておられると思いますが、上山春平先生はそういう偉い方でした。一言ありますか。
○議長(新宮康史君)  副市長。
○副市長(橋本顯治君)  人文科学研究所の方でしたので、我々学部生としては直接の授業は受けておりません。
 ただし、上山春平の名前はいろんなところで有名でしたので、京都大学の学派の中の一つの親分というふうなところで名前は知られていたと思います。
○議長(新宮康史君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  ありがとうございました。
 次に行きます。
 次は、戦後道徳の時間が開始された最初の年の生徒に助言をということでございますので、これ主語も何もないんです。このままじゃわかりませんよということですから、これは説明をしなければなりません。
 私は昭和33年に中学1年生であります。昭和33年9月の2学期から道徳の時間が復活された。先ほど申しました修身の教科は、昭和23年6月15日に衆参両院において、排除の決議と失効確認の決議が同時になされておりましたから、それからいうたらちょうど10年目に復活しましたということであります。私はこれをよく覚えています。というのは、昭和32年2月、石橋湛山内閣が自身が体が弱りおやめになった。よく私覚えております。というのは、当時、私は小学校5年でした、昭和32年2月は。火の用心をやっておりまして、それが終わりましたら友達の家に行きました。そうすると、おやじさんが、河野君、石橋湛山やめたよとおっしゃいまして、あっ、そうか、次は岸さんですかねと言ったら、わからんなあ、大抵そうかもわからんなあということで、岸さんがその後の総理大臣になって、松永 東文部大臣は、岸さんの恐らく意向を受けたんでしょうね、道徳の時間を復活させた。こういうことであります。その最初の年の私でございましたから、道徳の時間というよりも、食後の時間でもありました、週に1回、その肉体使った道徳のほうがはるかに私は記憶が鮮明に残っておるし、道徳の時間は教科書はありませんから、先生が前の黒板を書くだけですから、頭に入りません。道徳、先生、つまらんなあ、ほかの話ないって、ほしたら松川事件の話しようかなと。当時、まだ松川事件は裁判中ですから、広津和郎あたりは松川をどんどん、松川事件については擁護しておりました。松本清張も擁護派でした、恐らくそうでした。そういうお話のほうがはるかに記憶に残っております。その当時は第三の新人と言われる小説家がばんばん出ておりました。私の好きな安岡章太郎もそうです、近藤啓太郎もそうです。第三の新人ではありませんが、内子大瀬のあの大江先生は「飼育」というすごい小説を書いた、私たちはそういうふうな興味はないですから、まだクラシックというか、太宰 治の人間失格の本を読んでおりました。そういたしますと、おおい、慎太郎がいな本出したぞ、「太陽の季節」に、おい、障子破ったぜ、何のことやらわからんですよ、ほんで後見たらなるほどそうかと。我々は多感な時代をそういうところで過ごしましたから、道徳の時間は余り頭にない。終戦から12年、13年後でございましたから、まだまだ貧しかったですね、我々は。そういう中で、その時代というのはちょうどもはや戦後は終わった、昭和31年から4年が経過し、昭和35年の池田内閣の発足に至る所得倍増計画のちょっと前ですから、ちょうど転換点であったと、そういう時代でしたね、それからどんどんと成長していく時代ですから。そういう時代ですから、私は道徳の時間というのは余り頭にない。
 道徳の時間というのは何だ、完全に修身を否定するのか、あるいは年齢別に応じて道徳をするのか、あるいは道徳こそが社会的に一番賢明な教育なんだ、いや、違うよ、多様な価値観があって初めて人種も宗教も、それらが道徳でありますよということの論も成り立つわけでありますが、いまだによくわかりませんので、後知恵でそういうふうに道徳的価値とかというふうに、後ちょっとひもといて思っておるわけでありますが、いまだにわかりませんので、その点のところをわかりやすくもやを晴らしていただきたい、お願いします。
○議長(新宮康史君)  教育長。
○教育長(井上 靖君)  議員おっしゃるように、昭和33年、学習指導要領の改訂により、週1時間の道徳が生まれました。道徳教育は、学校教育全体を通して行われるものですけども、それを補充、深化、統合するための時間として道徳の時間が特設されたことは、特記すべきであると考えます。これを機に、教師の一方的な教授、あるいは単なる徳目の解説に終わることなく、できるだけ児童・生徒の自主性を尊重しながら、道徳の時間は進められるようになりました。
 現在行われている道徳教育は、互いに自分の考えを遠慮なく出し合いながら、自己を見詰め、振り返り、自己の生き方に思いをめぐらせる時間だと捉えていただければと思います。
○議長(新宮康史君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  私、作者はなかなか細工的な吉野源三郎さんですけど、昭和12年7月やったかな、書いた、「君たちはどう生きるべきか」という本というのは、これは非常に道徳的に価値がありますよ。時代は昭和12年、昔は支那事変と言うとりました、日中戦争が始まった年に彼は書いたわけです。省線電車が出てきますわね、今の国鉄です、わかりません、若い子には。それで、そこには豆腐屋のやはりまだ下町が出たりや、中産階級、あるいはまたブルジョア階級が出たりや、いろいろ悩んだりけんかしたりや、これは非常にいい教科書になるだろうと思います。恐らく道徳の時間にも使われるだろうと思いますので、難しいことは道徳は要らんのですね、と思います。そこらもやっぱりいろいろ総合的に判断して、いい教材については先ほど申しましたが、どんどんお使いになっていただきたいと思うわけであります。
 道徳とは何ぞや。私、明治中期生まれのばあさんがおりましたし、それのお母さんというのは慶応生まれでございました。まだ私が小さいときに生きとりましたから、だからよく言っておったのは、明治のばあさんなんかというのは、我がを詰めて人の痛さを知りなさいよ、ただそれだけですから、教えは、人の嫌がることはするなということだと思います。たったそれだけが道徳でした。ばあさんは無学ですから、昔は4年しか行ってませんので、明治20年代初めの生まれの人でしたから、難しいことは要らんので、そういうことを全く基本的なことをこんまいときに教えたら、これはずうっと続くだろうと思うわけであります。
 次に行きます。
 60年間にわたって実施されてきた道徳の時間は、中教審の言う形骸化に本市も同様だったのかということであります。今、教育長もおっしゃいましたが、道徳の時間が特別の教科道徳になったのは、その発端というのは、2014年10月、中教審答申において、これまでの道徳の時間の教育内容を懐疑的に捉えたからだと言っております。つまり成果の上がらない学校がかなりあったからにほかなりません。答申の一部を抜粋すると、先ほど申されました、教育長も、我が国の学校教育において、道徳教育は道徳の時間を必要とし、学校の教育活動全体を通じて行うものとされてきた。これまで、学校や児童の実態などに基づき道徳教育の重点目標を設定し、充実した指導を重ね、確固たる成果を上げている学校がある一方で、歴史的経緯に影響され、ここらが問題ですなあ、道徳教育そのものを忌避しがちな風潮があること、他教科に比べて軽んじられていること、つまり道徳の時間をシフトさせて、やめて、他教科にくらがえさせたということは聞いております。また、道徳の時間において、これまでの、例えば読み物の登場人物の心情理解のみに偏った形式的な指導や発達段階などを十分に踏まえず、児童・生徒に望ましいと思われる、わかっていることを言わせたり、書かせたりする授業が行われているなど、多くの課題を指摘しているわけであります。
 中教審はこれまでの道徳の時間を否定していると私はそう思います。中教審は、文科省とほとんど価値観は同じでありますから、これを否定するということ自体は、中教審自体のこれをみずからも否定していることにほかならないと私は極端に考えればそう思っておるところであります。無駄な60年間とは私は言いませんが、中教審がおっしゃるのは答申はむべなるかなと思います。だって、長らく60年間して、いじめが一向に減らないし、いじめが陰湿になるばっかりであります。これに手をやいて、学校教育、学校関係者、そういうこともあって、この特別の教科道徳になったんだろうと思うわけであります。
 この中教審答申に対して、我が教育委員会はウイというか、いや、そうじゃありませんよ、目標を持って成果を上げた学校がありますよ、どっちですかね、お願いします。
○議長(新宮康史君)  教育長。
○教育長(井上 靖君)  今、河野議員がおっしゃられた中教審の考え方でいろいろ形骸化しているような内容についての指摘がありましたが、そこから今回考え、議論する道徳が生まれたのではないかなと思っています。当市では、全ての学校において道徳教育の全体計画や指導計画を作成し、児童・生徒、学校、地域の実態に応じた道徳教育に取り組んでいます。また、市内17校全学年ともに1年間に必要な授業時数35時間、小学校1年生は34時間を確保しています。
 当市の場合、形骸化しているとは捉えていませんが、課題がなかったというわけではないと思っています。今回、教科化されたことによりまして、年間指導計画に基づく指導の定着、今まででしたらクラスによって教材を差しかえたりする部分もあったんですけど、それがきちんと年間指導計画に基づいて指導ができるようになったこと、また学級担任が中心になって授業はするんですけども、今回の教科化により管理職や副担任が協力して授業をしていこうとする体制も生まれています。また、評価のあり方についても研究していきたいと考えています。
 令和元年度と2年度においては、愛媛県特色ある道徳教育推進事業の指定を白浜小学校が受けておりますので、白浜小学校を中心に市内全体で研究を深めていきたいと考えております。
○議長(新宮康史君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  その点よろしくお願いをいたしておきます。
 続きまして、関連でございますが、期待が持てる道徳教育とは何ぞやということであります。
 中教審の道徳に係る教育課程の改善等について、この答申を受けて、学校教育法施行規則が改正されまして、小・中学校の学習指導要領の一部を改正されたところでございます。これによって、この4月から、中学校では特別の教科道徳、そして小学校は昨年の4月からということになっておるところであります。
 それによりますと、指導の観点によりますと、児童・生徒の発達段階に応じ4つの内容項目が示されておりまして、私も引っ張り出して見ました。4つあります。A、主として自分自身に関すること、B、主として自分と他者とに関すること、C、主として集団や社会とのかかわりに関すること、D、主として生命や自然、崇高なものとのかかわりに関することということになっております。そして、これら4つの内容項目が学年ごとに非常に細分化されております。小学校1、2学年には、よいと思うことをどんどんやりなさいよ、こういうことが19項目あります。そして、小学校の3、4年学年については20項目あります。5、6学年が22項目、中学校が22項目、合わせて83項目が、教育長言われましたように義務教育の間、週1時間の道徳の時間にやりなさいよということでございまして、これを全部身につけたら大したもんですよ。聖人君主になると私は思うわけであります。
 特別の教科道徳の授業は、戦前の徳目主義的な道徳から、道徳の時間のわかり切った道徳から、先ほど言われましたが、教師からの一方的な講義で知識を得るのではなく、児童・生徒が主体的に取り組み、仲間と深く考え、現状を認識し、課題を解決する力を養い、多様な価値観の共感、共有など、能動的授業として、アクティブ・ラーニングによって、これまでの道徳の時間にはない教育方法によって期待が持てると、こういうふうな声が伝わっております。恐らく先ほどの言われたことの回答になると思いますが、そういうふうに期待が持てますということでございますので、期待が持てますかね、教育長、もう一回お願いします。
○議長(新宮康史君)  教育長。
○教育長(井上 靖君)  期待の持てる道徳教育に近づけていきたいと思います。
○議長(新宮康史君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  個人個人、生徒の個性がありますけど、これは家庭教育というか、先生だけでは非常に難しい、道徳教育は家庭中心だ、そのことについてはどうです。
○議長(新宮康史君)  教育長。
○教育長(井上 靖君)  先ほど道徳教育は学校教育全体を通して行うものであるという話をしましたが、学校という枠だけで子供たちは学んでいくわけではありません。家庭、地域、大人の方々から道徳性を学んだり、身につけていったりするんではないかと捉えています。
○議長(新宮康史君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  よろしくお願いします。
 時間がないので進みます。
 「手品師」、情報化社会、現実的思考と徳自主義との相克についてということでございます。
 戦前の徳目主義から、教師からの一方的な講義や知識を得るのではなくて、児童みずからがアクティブ・ラーニング等で深く考え、課題を解決する力を養うにはうってつけの「手品師」は教材であります。「手品師」の話は、私も教科書を買って見ました。回答に導くアプローチが幾通りもあって非常に興味深い。子供との約束を守るために、大劇場デビューを棒に振って、たった1人の子供のために手品を披露した物語で、小学校6年の道徳の教科書に出ているわけであります。
 「手品師」の話は、現在の情報化の時代とそうでない我々の時代とでは子供たちの考えが違うと思います。ですから、私が思うのは、情報化の時代では、手品師と少年との約束を同時に果たすことができると思います。つまり、チャンスを棒に振ることはないです。少年と、今だったらメールでやりとりしたらいいわけです、電話でもそうですし、ですからこれは約束も守るし、大劇場のデビューを果たせますということでウイン・ウインの関係になるだろうと思います。
 がしかし、これはある程度徳目を重視しております。教科書の巻末を見ましたら、誠実やそういうふうに書いております。そういうことになると、そればっかりにいきますと、自分の将来、これは台なしになりますよということですから、そしてまた多様な価値観、こういうことになりますと、徳目主義がなくなりますよと。しかし、これ同時並行的に徳目も生き、多様な考えを生かせるためにはどうあったらいいかということは非常に難しい問題であります。どのように子供たちに誘導するのか、アクティブ・ラーニングによって、グループ分けしながら、ワーキングしながらこういうふうに話を持っていくんですかね。今の教育というのは私はわからないので、そこら辺教えてください。
○議長(新宮康史君)  教育長。
○教育長(井上 靖君)  今議員がおっしゃった6年生の本市が使っている道徳の教科書です。伊方町と共同採択しているわけですが、この6年生の教科書の中に「手品師」という教材が出てきます。今年度、小学校12校中、11校が年間指導計画にこの「手品師」を位置づけ、指導しているところです。
 男の子との約束を守るか、自分のチャンスを生かすか、どちらを選択するのが正しいのかを決めるのではなくて、さまざまな友達の意見に触れながら葛藤し、自己の生き方についての考えを深める学習を通して道徳的な判断力や心情を育てていきたいなと思っています。
 議員がおっしゃるように、多様な価値観のもと、児童の活発な議論が期待できる教材と考えておりますので、教員の研修にも生かしていきたいと思います。
○議長(新宮康史君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  これは非常にいい教材ですよね。私が思うのには、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授は白熱教室にこういう題材を与えたら非常にうまい司会をするだろうと思います。学校の先生も子供に主体的に任せるんじゃなく、主体性を養うためにというだけではなくて、やっぱり先生の誘導といいますか、持っていき方が非常に価値があるというか、子供を育てる上では、ですから教師の力量が非常に問われるだろうと思います、子供任せにしたらだめですから。そこら辺、先生皆もう信用していいですかね。
○議長(新宮康史君)  教育長。
○教育長(井上 靖君)  おっしゃるとおり、教師の言葉の投げかけとか働きかけ、子供の発言に対してどう揺さぶるか、教師の力量にかかっていると思います。大丈夫です。
○議長(新宮康史君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  納得しました。
 次、二宮金次郎についてであります。
 修身に出ておりますし、戦後道徳の時間にも出ておりますし、今回の特別の教科にも出ております。彼はいわば危機的な状況のときに出てきますね、二宮金次郎は。昭和20年の終戦以降に、二宮金次郎を復活させというのはアメリカからであります。GHQもそうでありました、ジェネラル・ヘッド・クオーター、連合国最高司令官総司令部もそういうふうに金次郎を復活させとやったわけでありますが、教育基本法が新たにできて、何で金次郎だというふうな政府のある一部の官僚の言葉もありましたが、金次郎というのは大したものです。修身、道徳の教科書に再び、三たび登場しました、今言いました。そして、兄弟を助け、親を敬い、骨身を惜しまず精出して働き、忙しくても学ぶことを忘れずに人の役に立つ立派な人になりました、「報徳記」にはこうあるわけであります。このイメージというのは、明治中期から大正にかけて形成されたというふうに言われておりまして、国民に向けて発表された教育勅語を体現する非常にいい教材だと、このように言われております。
 金次郎の子孫は本家おります、二宮康裕さん、ひろやすさんやなしに二宮康裕さん、この方が言っておりました。実は金次郎はこんまいときは字は知らなんだんだよと、大きくなって金次郎は10代後半から字を習い出したと、こういうことであります。しかし、金次郎というのは、非常に観察眼がすぐれておりましたし、素質にすぐれておったんでしょうね。だから、教育勅語のようにどんどんどんどん演出して、金次郎をつくったと言っても、私は実績から言いよったらこれはうそはないと思うわけであります。もうわらじの話は時間がないから飛ばしますが。
 それで、五常講などという利子は取らずに、当時の江戸の利子は、今は普通預金は0.01%ですが、当時は借りたら20%は払わないけない、そして5年で払わないけんいうたら、元本は一つも減らない。元本は減りませんので、無利子に貸して、その元本が払い終わったときに、あとはほしたらいただきましょうかな、利子をと、こういうことで、それをまたストックして、次に貸し出すと、こういう先見の明がありました、二宮金次郎は。ですから、私が思うのは、二宮金次郎は薪を背負って、銅像がありますが、そのイメージというのは私は相当膨らんでくる。教育長、このイメージどう捉えます、金次郎さんの。
○議長(新宮康史君)  教育長。
○教育長(井上 靖君)  金次郎の銅像ですね。
○議長(新宮康史君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  いやいや、金次郎の銅像のまきを背負っとる姿というのは、勉強しながら仕事しよるということですけど、全体を通して金次郎のイメージ、銅像も含めての、どういうふうに考えておられるか、イメージを持っておられるかということです、金次郎に対して。
○議長(新宮康史君)  教育長。
○教育長(井上 靖君)  参考までに申しますと、二宮金次郎の銅像を設置している小学校が、市内12校中8校あります。そういう点では、現在の子供たちにとっても二宮金次郎が身近な存在であるかもしれません。
 さて、私が小学生のころ、二宮金次郎、二宮尊徳の伝記を読んで育った世代ですけども、特に二宮金次郎さんの銅像に対して特別な感情を持っているわけではありませんが、あの銅像を見て思うことは、私は農家で育ちました。小学生のころ、学校から帰ると、どこそこの山へ来いという書き置きがよくありました。その書き置きを見るのは嫌でしたが、一緒に親と働いていると、いつしか笑顔がこぼれたりとか、家の中では会話できないところに話が発展したりとか、そういうことが思い出されます。当時に比べて今は農家自体が減少してますし、農家の方々も子供を労働力としては考えてらっしゃらない方が多いんじゃないかなと思います。時代は本当に大きく変わって、形の見えるものはどんどん変化してますし、生き方とか考え方も大きく変容してるんではないかなと。ただ、その中で、我々が守っていかなければならないこと、子供たちに伝えていかなければならないこと、それは時を超えてあるのではないかなと、長くなりましたが、思っています。
○議長(新宮康史君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  いいですよ、長くなっても。
 私が思うのは、要するに働きながら彼はこの貧乏からどう脱出したらいいのか、親、兄弟を幸せにするためにはどうしたらいいか、考えながら私は仕事をしておった、その象徴としての薪を背負っての二宮金次郎なんではないかと思います。そして、これは何を言わんとしたかというと、学問は大事ですよと、こういうことですよ。
 明治3年、岩倉具視が建白書を出した。教育は絶対的に大事だから、これからの明治期の日本にとって、無学な者がおったらだめだから、絶対的に教育をやるような政策をやらなければだめですよということの、私はそういうふうにもとっておるわけであります。二宮金次郎というのは、先ほど申しましたというか、金次郎はGHQ、ジェネラル・ヘッド・クオーターも進めますというのはアメリカのほうからも受けました。金次郎はアメリカンデモクラシーそのままの男だ、トーマス・ジェファーソン、エブラハム・リンカーン、続いてキンジロー・ニノミヤとえらい持ち上げたんですね、当時の。というのは、昭和20年の終戦以降は社会党が強くなる、共産党が強くなる、そういうことでそれの防波堤として金次郎を使おうとしたということもあります。
 さて、それはいいんですが、次に行きましょう。教育勅語を教材とするお考えはということで、何を今さらこういうなくなったものを、両院において排除と失効確認の決議をされたものを今さら持ち出したと、こういうことですが、しかし今物議を醸した人がおるんですね、教育勅語は。新しいところでは、平成30年10月2日、第4次安倍改造内閣で柴山昌彦文科大臣、今の大臣です。就任の記者会見で教育勅語の認識を問われた、すぐ乗っちゃうんですね、今の若い人は。現代風に解釈されアレンジした形で道徳などに使うことが十分可能でありますよと、こう言った。そういうことで、幾つか彼が言わんとしたことは上げられるんですが、私なりに解釈すると、「爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ」と、こういうふうになるわけであります。ですから、ここのいいところをとりなさいよということにはなかなか間違いないんですが。
 しかし、そういうことになったら、早速野党から批判が出ました。というのは、平成29年3月21日、野党議員、これは立憲民主党ですかな、初鹿明博さん、この方から政府に対して、教育勅語の根本理念に関する質問主意書というのが提出され、その内容というのは、先ほど申しましたように、衆参の決議で昭和23年6月19日に両院で失効確認の決議をしておるので、もうこれは死んだものですから、再び亡霊のように出てくるのはおかしいじゃないかということですね。ですから、今さらこれを使うのはおかしいと、こういうことであったわけであります。稲田朋美大臣も大方罷免されよりました、これで、道徳なんかにのっとるから、これをやりなさいよと。これを教材に使うということは、長妻 昭さんも出しておるんですね、主意書を、政府については憲法と教育基本法に抵触しない限りにおいては、教育委員会と学校設置者といいますとこれは市長になりますかな、その認識においてやりますから、使っていいですよということなんですね。恐らくこういうことは使われませんよということになりますけども、時代の状況とか背景とかを勉強するのには非常に役に立つと思います。どうですか。
○議長(新宮康史君)  教育長。
○教育長(井上 靖君)  教育基本法に相通ずる部分があるかもしれませんが、教育勅語は天皇から臣民に示されたものであり、それを現代において採用することはできないと考えます。憲法や教育基本法のもと、令和の時代にふさわしい、令和の時代に生きる現代の児童・生徒にとって、これからの時代にふさわしい道徳教育の創造が求められていると考えます。
○議長(新宮康史君)  河野裕保議員。
○河野裕保君  そういう答えでしかないでしょうな、今は。
 しかし、孝行しなさいよ、夫婦愛、博愛衆に及ぼしなんかいうて、当時、これは博愛などというフランスの革命じゃありませんが、西洋思想も入れてごっちゃになっとるんですね。そして、もう時間がありませんが、教育勅語というのは、天皇陛下のためでございますけれども、天皇陛下というか皇室を守るための教育勅語でございますから、いいとこもありますので、なかなかそれは取り入れにくいかもわかりませんが、歴史の物語としてこれを勉強してもいいんじゃないかと、このように思いますので、もう一回考えてください。
○議長(新宮康史君)  河野議員、時間が来ましたので、これで質疑は終了します。

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