記事番号: 1-271
公開日 2014年09月16日
蘇る平家落人 伝説の里「平家谷」
宮内川上流の「平家谷」一帯は、平家落人たちの哀しい伝説が残る場所。渓谷と自然林がことさらに美しく、今では憩いとやすらぎの場として生まれ変わり、人々に親しまれています。 ※流しそうめんの詳しい情報はこちら |
平家谷の由来
文治元年(1185)長門の国壇の浦(現在の山口県下関市)の源平の戦に全敗した平家一族が瀬戸内海を東西南北に落ちのびていきました。そのうち、平有盛系一族8人は三崎半島の瀬戸内海沿いに流れつき良き場所を求めて逃げ落ちた場所が、現在の平家谷であるとされています。
その他、6人が切腹したハザマ谷には、大正10年頃まで石むろが築かれ自害の場所の印が残されていました。また、平家谷及びハザマ谷は明治の中頃まで女人は一切近づく事が出来ず、白い物は敵源氏の旗示であるので身につけず、平家の子孫は正月にも白餅をつくことも出来ませんでした。代わりに12月末には赤飯を造り正月15日まではその赤飯に毎日お茶をかけて食べていましたが、この習慣は大正10年頃にはなくなりました。 |